モアイ像が見たもの【イースター島が滅ぶまで】
おはよーございます。
小学校で頑張っています。
みなさんこちらをご覧ください。
そうです、モアイ像です。
これはイースター島という島にたくさんあるのですが
なぜこんなものを何個も作ったのか知っていますか?
そして、この島で迎えた悲しい結末について知っていますか?
これらのことについて書いていきます。
小学生にも伝わる、イースター島の教訓です。
1.イースター島はどんなとこ?
イースター島は南米チリから西に3700㎞
周りに他の島国もありません。
なので、閉鎖的な立地でした。
1200年ごろにポリネシア人が住み始めました。
島は火山島で、土地も痩せていたので、
そこで暮らしていくのは随分な苦労がありました。
しかし、持ち込んだニワトリやジャガイモなどをうまく育てて
徐々に繁栄していきました。
いくつかの部族がうまれ、つつましくも
生活をしたいました。
2.そうだ、モアイ像をつくろう
人々は祭祀・祭典の目的でモアイ像をつくるようになりました。
日本で言う所の仏像みたな感じです。
「アフ」と呼ばれる祭壇にのせて、何らかの宗教儀式を行っていたと
考えられています。
絶海の孤島で情報もほとんどないわけですから
宗教が生まれるのも納得です。
ちなみに
素材となる巨大な岩は、火山島なので大量の凝灰岩があります。
それらを丸太の「ころ」に乗せて運搬したとされています。
モアイ像は20tほどあり、簡単にポンポン
つくれるようなものではありません。
大量の木材や人員を使っていました。
だからこそ、大きく立派なモアイ像をつくることに
価値があり、その部族の強さを表しているのでした。
3.資源が・・・・ない?
1600年ごろになると人口が爆発的に増えて
7000人以上にもなったとされています。
モアイの生産量は落ちることはありませんでした。
モアイ像を運搬するのに大量の木材が必要で、
森林を切り崩していくと、土砂災害が発生します。
家屋が倒壊するだけでなく、森林が再生できなくもなります。
優れた航海技術を持ち、漁に出るための
舟さえつくれなくなりました。
人間の消費する資源量 > 自然が生み出す資源量
となり、食糧危機になったのです。
食糧が無い、つくる土地も時間も無い
その結果、他の部族から略奪するようになります。
部族間での争いが頻発し、
家屋の改修
武器を増産
また資源を使います。
ついには人の肉を食べていた痕跡さえ見つかっています。
土地は荒れ、人は減り、
島内の資源がほとんど枯渇してしまいました。
1877年には、老人と子どもが100人ほどにまでなったと
記録があります。
4.この教訓から
自然が毎年、生み出してくれる資源には限りがある。
それを人間の消費が上回った結果がこれです。
エジプト文明の崩壊、その伝播先のギリシャでも似たような
ことが起こっています。
絶海の孤島、イースター島を
現在の地球に置き換えてみましょう。
資源を消費しすぎではないか、人口の増加はどうなのか、
このあたりについてはまた今度で。
なんにせよ、まずは知ること。
今を生きるなら、出来ることを積み上げていきたいですね!
ありがとーございました。